2015年9月10日木曜日

旧約聖書「イザヤ書」の「地の果ての島々」


 出典:歴史学講座『創世』:歴史研究家「小嶋 秋彦」
  
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦 132~136頁

 ≪旧約聖書「イザヤ書」の「地の果ての島々」≫

  「イザヤ書」とは旧約聖書のうち預言書と称されるものの

  第5番目の書である。

  その内容は3部に分割することができ、

  これまで第1のイザヤ書〔第1章から39章まで〕は

  紀元前8世紀に著されたといい、

  第2のイザヤ書と称される第40章から55章までは

  紀元前550年頃の成立、

  第3のイザヤ書と称される第56章から66章は

  同じく紀元前515年頃の成立とされる。

  ここでは特に第2のイザヤ書と称されるもののうちの

  第40章から49章までに注目する。

  この書は一般に預言書といわれ、

  神の啓示の記述となっている。

  しかし、

  その内容にバビロン捕囚事件やペルシャのキロス王名など、
  
  記述年より後の事件の具体的な固有名詞が


  載っていることから、
 
  当該書が宗教書としても、諸事項(件)発生後に記録として

  留められたとする方が妥当性がある。

  これまでのヘブライ学者は「預言」との通称にとらわれ、

  それぞれ事件以前の成立とすることにこだわってきたのでは

  ないかと推測される。

  歴史研究家的視点からすると、そういう第2イザヤ書は

  紀元前2世紀の終末期から同1世紀に記録されたものと、

  少なくとも加筆されたものと考える。

  なぜならば、その頃西方〔ローマ帝国、地中海東岸〕と

  極東との交易網が西方諸国の人々にやっと認知され始めた

  証左がその内容に含まれているからである。

  その状況は前章で説明した。

  この第2イザヤ書に興味深い事項がある

  「島々」「地の果て」などがそれである。

  以下に注目すべき箇所を

  ミルトス社ヘブライ語聖書対訳シリーズのイザヤ書から

  日本語部分を転載する。


  第40章
  
   15 見よ、主は島々を細かいちりのように取り上げる

   28 主は、永遠の神、地の果てまで創造された方

  第41章

    1 島々よ、わたしのもとに来て静まれ。

      国々の民よ、力を新たにせよ。
 
    5 島々は畏れをもって仰ぎ、地の果てはおののき、

      共に近づいて来る。

    9 わたしはあなたを固くとらえ、地の果て、

      その隅々から呼び出して言った

  第42章

    4 島々は彼の教えを待ち望む

   10 新しい歌を主に向かって歌え、
 
      地の果てから主の栄誉を歌え、

      海に漕ぎ出す者、海に満ちる者、島々とそこに住む者よ

   12 主に栄光を帰し、主の栄誉を島々に告げ知らせよ

  第43章

    6 娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う

  第45章

   22 地の果てのすべての人々よ

  第48章
 
   20 バビロンを出よ、カルデアを逃げ去るがよい。

      喜びの声をもって告げ知らせ、

      地の果てまで響かせ、届かせよ

  第49章

    1 島々よ、わたしに聞け、遠い国々よ、耳を傾けよ

    6 だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし、

      わたしの救いを地の果てまでもたらす者とする

 
 まず、この「島々」を日本聖書協会の「旧約聖書」は

 「海沿いの国々」と記している。

 「オックスフォード・ケンブリッジ版」は

 coasts and islands と記している。

 それに影響されたのだろう。

 それよりも古い King James Version は

 islands〔「島」の複数形〕とし、「島々」と同義である。

 ギリシャ語版を載せる The Septuagint with Apocryha においても

 νησοι〔nhsoi〕としνησος〔nhsos:島〕の複数形である。

 やはりヘブライ語版にあるAYYM「島々」というのが

 本来の表記であろう。

 また「地の果て」について各英語版とも

  end of earth とし共通している。

 この用語のうち「地」は

 ヘブライ語で ARTs で英語〔earth〕と近似している。

 「果て」はイザヤ書の各表記が

  KTsHT あるいは KTsHT で前者が原型である。

 「地の果て」表現はユーラシア大陸の東端を想起させる。

 紀元前数世紀から西方の関心は、

 東方特に極東への関心が高くなった。

 紀元前4世紀のアレキサンダー大王の東征の目的は

 アジア〔ユーラシア〕の東端に辿り着くことであった。

  実際は中央アジアまでで終わってしまった。

 イザヤ書のいう「地の果て」は

 明らかにその「極東」をいったものと考える。

 そして「島々」とは日本列島の西部地域とすることができる。

 「果て」である KTsH には「端」のほか「はずれ」の概念もある。

 大陸から少々はなれていてもかまわないのであり

 「島々」とはその「地の果て」の「はずれ」に

 あるものとすることができる。

 イザヤ書はそこに国々があると知らせている。

 KTsH の発音は「クェツェエ」であったと考えられ、

 これは「ウシュウ:九州」の祖語とみられる。

 「州」とは「国」である。

 「島々」とは

 日本の九州を中心とする諸島々を想定して


 言われたことになる。

 このヘブライ語の「果て」を原語とする地称が

 九州のシナ海〔日本海〕方面にはある。

 例えば鹿児島県加世田市名は KTsHT の音写であるし、

 串木野市名も KTsH-KNP〔果て-果て〕で「果ての果て」となり、

 いかにも「極地」らしい。

 長崎県の「口之津」も「クチノ」 KTsNI の音写で

 語義を同じくする。
 
  この「島々」の情報はイザヤ書第42章10に登場する
 
 「海に漕ぎ出す者」あるいは「海に満ちる者」と

 海洋航海に生きる交易商人たちが

 海路を経てもたらしたものとみられる。

 つまり、それらの記述は、

 その頃ヘブライ人の海洋商人たちが「地の果て:極東」へ

 達していたことを明白たらしめているのである。

 その続きに「島々とそこに住む者よ」と

 すでにそこにヘブライ人が居住しているといっている。

 さらにそればかりでなく、

 第43章6の「地の果てから連れ帰れ」

 と述べていることからも同様に、

 「地の果て」にはヘブライ人がすでに居住していたといえる。

 それが「国々」である。

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