2015年5月15日金曜日

論語〔孔子の言行録〕の内容

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 《課題》 孔子は和人〔倭人〕の社会習性を理想とした
     ―堯舜の賢政は和人の思想―

 ※出典:WEB漢文大系 

 論語 学而第一 12

  有子曰。禮之用。和爲貴。先王之道斯爲美。小大由之。有所不行。

 知和而和。不以禮節之。亦不可行也。

  有子(ゆうし)曰(いわ)く、礼(れい)の用(よう)は和(わ)を

 貴(たっと)しと為(な)す。先王(せんおう)の道(みち)も

 斯(こ)れを美(び)と為(な)す。小大(しょうだい)之(これ)に由(よ)るも、

 行(おこな)われざる所(ところ)有(あ)り。

 和(わ)を知し()りて和(わ)するも、礼(れい)を以(も)って之(これ)を

 節(せっ)せざれば、亦(また)行(おこな)う可(べ)からざるなり。

 有子 …

   孔子の門弟。姓は有(ゆう)、名は若(じゃく)、字(あざな)は子有。

 礼之用和為貴 …

  新注では用を体用の用と解釈しており、

  「礼の運用には調和が大切である」と訳している。

  古注では用を「以」とし、

 「礼は之これ和を用もって貴しと為す」と訓じ、

 「礼には和が大切である」と訳している。

 先王 … 昔のすぐれた君主。

 小大 … 大小の事柄。

 節 … 節度。

 亦不可行也 … 漢石経に「可」の字なし。

  下村湖人(1884~1955)は「有ゆう先生がいわれた。

 礼は、元来、人間の共同生活に節度を与えるもので、

 本質的には厳しい性質のものである。

 しかし、そのはたらきの貴さは、結局のところ、

 のびのびとした自然的な調和を実現するところにある。

 古聖の道も、やはりそうした調和を実現したればこそ美しかったのだ。

 だが、事の大小を問わず、何もかも調和一点張りでいこうとすると、

 うまくいかないことがある。調和は大切であり、

 それを忘れてはならないが、礼をもってそれに節度を加えないと、

 生活にしまりがなくなるのである」と訳している(現代訳論語)。 

 ※和 … 我と人との接際における情意互に疎通して角立たず、

     順便に物事の行わるるをいう。(論語講義:渋沢栄一)

 
 論語 八佾第三 5

  子曰。夷狄之有君。不如諸夏之亡也。

  〔古注〕 子(し)曰(いわ)く、夷狄(いてき)の君(きみ)有(あ)るは、

 諸夏(しょか)の亡(な)きに如(し)かず。

  〔新注〕 子(し)曰(いわ)く、夷狄(いてき)すら

 之(これ)君(きみ)有(あ)り。

 諸夏(しょか)の亡(な)きが如(ごとくならず。

 夷狄 … 未開無知の異人種の通称。

     東夷(とうい)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)・

     西戎(せいじゅう)の総称。

 有君 … 君主がある。明君がある。

 諸夏 … 中華の諸国。「夏」は「華」と同じ。

     古注では「中国」とある。

 亡 …  古注では「無也」とある。

 不如 … 古注では「如しかず」と読み、

     「~に及ばない」と解釈している。

     新注では「如ごとくならず」と読み、

     「~のようではない」と解釈している。

 この章の解釈は古注と新注とで正反対となっている。

 古注では「未開国は(野蛮であり)、

 たとえ君主があっても(文化水準が低いので)、

 とうてい(文明国である)中国の無君主状態にも及ばない」

 というような解釈をしている。

 新注ではこのような古注の中華思想的解釈を改め、

 「未開国でさえ君主がある。

  今の中国のような上下の分のないような無秩序状態ではない」

 と解釈している。

 下村湖人(1884~1955)は「先師がいわれた。

 夷狄の国にも君主があって秩序が立っている。

 現在の乱脈な中華諸国のようなものではないのだ」

 と訳している(現代訳論語)。 


 論語 里仁第四 15

  子曰。參乎。吾道一以貫之。曾子曰。唯。子出。門人問曰。

 何謂也。曾子曰。夫子之道。忠恕而已矣。

  子(し)曰(いわ)く、参(しん)や、吾(わ)が道(みち)は

 一(いつ)以(もっ)て之(これ)を貫(つらぬ)く。

 曾子(そうし)曰(いわ)く、唯(い)。子(し)出(い)ず。

 門人(もんじん)、問(と)いて曰(いわ)く、何(なん)の謂(い)いぞや。

 曾子(そうし)曰(いわ)く、夫子(ふうし)の道(みち)は、

 忠恕(ちゅうじょ)のみ

  参 … 曾子の名。「しん」と読み、「さん」とは読まない。

  乎 … 呼びかけに用いて「や」と読む。「~よ」と訳す。

  一以貫之 … 「之」は「一」を強めるための語助の辞で、

        何も示さない。

        故事成語【一以て之を貫く】参照。

        皇侃(U おうがん)本等では「一以貫之哉」に作る。

  唯 … 「い」と読む。目上の人に対し、「はい」と答える丁寧な返事。

  門人 … 孔子の他の門人たち。曾子の門人という説もあるが、

      ここではとらない。

  何謂也 … 疑問の形。「どういう意味ですか」。

  夫子 … 先生。ここでは孔子を呼ぶ尊称。

  忠恕 … 真心と思いやり。

  而已矣 … 「のみ」と読む。強い断定の意を示す。

       「而已のみ」をさらに強調した言い方。

       「…だけだ」「他にはない、ただこれだけだ」の意。

       「而已焉」「而已耳」。 

  下村湖人(1884~1955)は

 「先師がいわれた。

  参(しよ)、私の道はただ一つの原理で貫かれているのだ。

  曾先生がこたえられた。さようでございます。

  先師はそういって室を出て行かれた。

  すると、ほかの門人たちが曾先生にたずねた。

  今のはなんのことでしょう。

  曾先生はこたえていわれた。

  先生の道は忠恕ちゅうじょの一語につきるのです」

  と訳している(現代訳論語)。

 ※忠恕 …忠は己の誠心を尽くすをいう。

     恕は己を推すをいう。

   いわゆる己の欲せざる所は人に施すこと勿(な)きは、これ恕なり。


 論語 雍也第六 19

  子曰。中人以上。可以語上也。中人以下。不可以語上也。

  子(し)曰(いわ)く、中人(ちゅうじん)以上(いじょう)は、

 以(もっ)て上(かみ)を語かたる可べきなり。

 中人(ちゅうじん)以下(いか)は、以(もっ)て上(かみ)を

 語(かたる)可(べ)からざるなり。

  下村湖人(1884~1955)は

 「先師がいわれた。

  中以上の学徒には高遠精深な哲理を説いてもいいが、

  中以下の学徒にはそれを説くべきではない」

 と訳している(現代訳論語)


 論語 雍也第六 28

  子貢曰。如有博施於民。而能濟衆。何如。可謂仁乎。

 子曰。何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者。己欲立而立人。

 己欲達而達人。能近取譬。可謂仁之方也已。

  子貢(しこう)曰(いわ)く、

 如(も)し博(ひろ)く民(たみ)に施(ほどこ)して、

 能(よ)く衆(しゅう)を済(すく)うもの有(あ)らば、何如(いかん)。

 仁(じん)と謂(い)う可(べ)きか。

 子(し)曰(いわ)く、何(なん)ぞ仁(じん)を事(こと)とせん。

 必(かならず)や聖(せい)か。

 尭舜(ぎょうしゅん)も其(そ)れ猶(な)お諸(これ)を病(や)めり。

 夫(それ)仁者(じんしゃ)は己(おのれ)立(た)たんと欲(ほっ)して

 人(ひと)を立(た)て、

 己(おのれ)達(たっ)せんと欲(ほっ)して人(ひと)を達(たっ)す。

 能(よ)く近(ちか)く譬(たと)えを取(と)る。

 仁(じん)の方(ほう)と謂(い)う可(べ)きのみ

  如有 … 皇侃おうがん本等では「如能」に作る。

  衆 … 皇侃おうがん本等では「衆者」に作る。

  下村湖人(1884~1955)は

 「子貢が先師にたずねていった。

  もしひろく恵みをほどこして民衆を救うことができましたら、

  いかがでしょう。

  そういう人なら仁者といえましょうか。

  先師がこたえられた。

  それができたら仁者どころではない。

  それこそ聖人の名に値するであろう。

  堯や舜のような聖天子でさえ、それには心労をされたのだ。

  いったい仁というのは、何もそう大げさな事業をやることではない。

  自分の身を立てたいと思えば人の身も立ててやる、

  自分が伸びたいと思えば人も伸ばしてやる、

  つまり、自分の心を推して他人のことを考えてやる、

  ただそれだけのことだ。

  それだけのことを日常生活の実践にうつしていくのが

  仁の具体化なのだ」

 と訳している(現代訳論語)。


 論語 泰伯第八 2

  子曰。恭而無禮則勞。愼而無禮則葸。勇而無禮則亂。直而無禮則絞。

 君子篤於親。則民興於仁。故舊不遺。則民不偸。

  子(し)曰(いわ)く、恭(きょう)にして

 礼(れい)無(な)ければ則(すなわ)ち労(ろう)す。

 慎(しん)にして礼(れい)なければ則(すなわ)ち葸(おそ)る。

 勇(ゆう)にして礼(れい)なければ則(すなわ)ち乱(みだ)る。

 直(ちょく)にして礼(れい)なければ則(すなわ)ち絞(せま)し。

 君子(くんし)親(しん)に篤(あつ)ければ、

 則(すなわ)ち民(たみ)仁(じん)に興(おこ)る。

 故旧(こきゅう)遺(わす)れざれば、

 則(すなわ)ち民(たみ)偸(うす)からず。

  下村湖人(1884~1955)は

 「先師がいわれた。

  恭敬なのはよいが、それが礼にかなわないと窮屈になる。

  慎重なのはよいが、それが礼にかなわないと臆病になる。

  勇敢なのはよいが、それが礼にかなわないと、不逞になる。

  剛直なのはよいが、それが礼にかなわないと苛酷になる。

  またいわれた。

  上に立つ者が親族に懇篤であれば、

  人民はおのずから仁心を刺戟される。

  上に立つ者が故旧を忘れなければ、

  人民はおのずから浮薄の風に遠ざかる」

 と訳している(現代訳論語)。


 論語 泰伯第八 18

  子曰。巍巍乎。舜禹之有天下也。而不與焉。

  子(し)曰(いわ)く、巍巍乎(ぎぎこ)たり、

 舜(しゅん)・禹(う)の天下(てんか)を有(たも)つや、

 而(しこう)して与(あずか)らず。

  下村湖人(1884~1955)は

 「先師がいわれた。

  何という荘厳さだろう、

  舜(しゅん)帝と禹(う)王が天下を治められたすがたは。

  しかも両者ともに政治には

  なんのかかわりもないかのようにしていられたのだ」

 と訳している(現代訳論語)。


 論語 泰伯第八 19

  子曰。大哉。堯之爲君也。巍巍乎。唯天爲大。唯堯則之。

 蕩蕩乎。民無能名焉。巍巍乎。其有成功也。煥乎。其有文章。

  子(し)曰(いわ)く、

 大(だい)なるかな、堯(ぎょう)の君(きみ)たるや。

 巍巍(ぎぎ)たるかな、唯(ただ)天(てん)を大(だい)なりと為(な)し、

 唯(ただ)堯(ぎょう)のみ之(これ)に則(のっ)とる。

 蕩々(とうとう)たるかな、民(たみ)能(よ)く名(な)づくること無(な)し。

 巍巍(ぎぎ)たるかな、其(そ)れ成功(せいこう)有(あ)り。

 煥(かん)として、其(そ)れ文章(ぶんしょう)有(あ)り。

  巍巍たるかな … 「巍巍乎(ぎぎこ)として」とも読む。

  蕩蕩たるかな … 「蕩蕩乎(とうとうこ)として」とも読む。

  煥として … 「煥乎(かんこ)として」とも読む。

  下村湖人(1884~1955)は

 「先師がいわれた。

  堯帝の君徳はなんと大きく、なんと荘厳なことであろう。

  世に真に偉大なものは天のみであるが、

  ひとり堯帝は天とその偉大さをともにしている。

  その徳の広大無辺さはなんと形容してよいかわからない。

  人はただその功業の荘厳さと文物制度の

  燦然(さんぜん)たるとに眼を見はるのみである」

 と訳している(現代訳論語)。


 論語 子罕第九 13

  子欲居九夷。或曰陋如之何。子曰。君子居之。何陋之有。

  子(し)、九夷(きゅうい)に居(お)らんと欲(ほっ)す。

 或(あ)るひと曰(いわ)く、陋(ろう)なり。

 之(これ)を如何(いかん)せん。

 子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)之(これ)に居(お)らば、

 何(なん)の陋(ろう)か之(これ)有(あ)らん。


  九夷 … 東方に住む九種の異民族。

  下村湖人(1884~1955)は

 「先師が道の行なわれないのを嘆じて九夷(きゅうい)の地に

  居をうつしたいといわれたことがあった。

  ある人がそれをきいて先師にいった。

  野蛮なところでございます。

  あんなところに、どうしてお住居ができましょう。

  すると先師はいわれた。

  君子が行って住めば、いつまでも野蛮なこともあるまい」

  と訳している(現代訳論語)。


 論語 堯曰第二十 1

  堯曰。咨爾舜。天之暦數在爾躬。允執其中。四海困窮。天禄永終。

 舜亦以命禹。

  曰。予小子履。敢用玄牡。敢昭告于皇皇后帝。有罪不敢赦。

 帝臣不蔽。簡在帝心。朕躬有罪。無以萬方。萬方有罪。罪在朕躬。

 周有大賚。善人是富。雖有周親。不如仁人。百姓有過。在予一人。

 謹權量。審法度。脩廢官。四方之政行焉。興滅國。繼絶世。舉逸民。

 天下之民歸心焉。所重民食喪祭。

 寛則得衆。信則民任焉。敏則有功。公則説。

  堯(ぎょう)曰(いわ)く、

 咨(ああ)爾(なんじ)舜(しゅん)、天(てん)の暦数(れきすう)、

 爾(なんじ)の躬(み)に在(あ)り。

 允(まこと)に其(そ)の中(ちゅう)を執(と)れ。

 四海(しかい)困窮(こんきゅう)せば、

 天禄(てんろく)永(なが)く終(お)わらんと。

 舜(しゅん)も亦(ま)た以(もっ)て禹(う)に命(めい)ず。

 曰(いわ)く、

 予(われ)小子(しょうし)履(り)、

 敢(あえ)て玄牡(げんぼ)を用(もち)いて、

 敢(あえ)て

 昭(あき)らかに皇皇(こうこう)たる后帝(こうてい)に告(つ)ぐ。

 罪(つみ)有(あ)るは敢(あえ)て赦(ゆる)さず。

 帝臣(ていしん)蔽(おお)わず。

 簡(えら)ぶこと帝(てい)の心(こころ)に在(あ)り。

 朕(わ)が躬(み)に罪(つみ)有(あ)らば、

 万方(ばんぽう)を以(もっ)てする無(な)かれ。

 万方(ばんぽう)に罪(つみ)有(あ)らば、

 罪(つみ)は朕(わ)が躬(み)に在(あ)りと。

 周(しゅう)に大賚(たいらい)有(あ)り。

 善人(ぜんにん)是(こ)れ富(と)めり。

 周(しゅう)親(しん)有(あ)りと雖(いえど)も、

 仁人(じんじん)に如(し)かず。

 百姓(ひゃくせい)過(あやま)ち有(あ)らば、

 予(われ)一人(いちにんに)在(あ)り。

 権量(けんりょう)を謹(つつし)み、

 法度(ほうど)を審(つまびらか)にし、

 廃官(はいかん)を脩(おさむ)れば、

 四方(しほう)の政(まつりごと)行(おこな)われん。

 滅国(めっこく)を興(おこ)し、絶世(ぜっせい)を継(つ)ぎ、

 逸民(いつみん)を挙(あ)ぐれば、

 天下(てんか)の民(たみ)心(こころ)を帰(き)す。

 重(おも)んずる所(ところ)は

 民(たみ)の食(しょく)と喪(そう)と祭(さい)なり。

 寛(かん)なれば則(すなわ)ち衆(しゅう)を得(え)、

 信(しん)なれば則(すなわ)ち民(たみ)任(にん)ず。

 敏(びん)なれば則(すなわ)ち功(こう)有(あ)り、

 公(こう)なれば則(すなわ)ち説(よろこ)ぶ。

  罪在朕躬 … 皇侃(おうがん)本等には「罪」の字なし。

  四方之政行焉 … 皇侃(おうがん)本では「四方之政行矣」に作る。

  信則民任焉 … 皇侃(おうがん)本等にはこの句なし。

  公 … 宮崎市定は「惠」に改めている。

  詳しくは『論語の新研究』88頁以下参照。

  公則説 … 皇侃(おうがん)本等では「公則民説」に作る。

  下村湖人(1884~1955)は

 「堯帝が天子の位を舜帝に譲られたとき、いわれた。

  ああ、汝、舜よ。

  天命いまや汝の身に下って、

  ここに汝に帝位をゆずる。

  よく中道をふんで政を行なえ。

  もし天下万民を困窮せしめることがあれば、

  天の恵みは永久に汝の身を去るであろう。

  舜帝が夏(か)の禹(う)王に位を譲られるときにも、

  同じ言葉をもってせられた。

  夏(か)は桀(けつ)王にいたって無道であったため、

  殷(いん)の湯(とう)王がこれをうち、

  天命をうけて天子となったが、

  その時、湯王は天帝に告げていわれた。

  小さき者、履り、つつしんで黒き牡牛をいけにえにして、

  あえて至高至大なる天帝にことあげいたします。

  私はみ旨を奉じ万民の苦悩を救わんがために、

  天帝に罪を得た者を誅しました。

  天帝のみ心に叶う臣下はすべてその徳が

  蔽おおわれないよういたしたいと思います。

  私は天帝のみ心のまにまに私の進むべき道を選ぶのみであります。

  さらに諸侯に告げていわれた。

  もしわが身に罪あらば、それはわれひとりの罪であって、

  万民の罪ではない。

  もし万民に罪あらば、それは万民の罪でなくて、

  われひとりの罪である。

  殷(いん)は紂(ちゅう)王にいたって無道であったため、

  周の武王がこれをうち、天命をうけて天子となったが、

  その時、武王は天帝に誓っていわれた。

  周に下された大きな御賜物を感謝いたします。

  周にはなんと善人が多いことでございましょう。
  
  いかに親しい身内のものがおりましょうとも、

  仁人の多きには及びませぬ。

  かように仁人に恵まれて、

  なお百姓(ひゃくせい)に罪がありますならば、

  それは私ひとりの罪でございます。

  武王はこうして、度量衡を厳正にし、礼楽制度をととのえ、

  すたれた官職を復活して、四方の政治に治績をあげられた。

  また、滅亡した国を復興し、断絶した家を再建し、

  野にあった賢者を挙用して、天下の民心を帰服せしめられた。

  とりわけ重んじられたのは、民の食と喪と祭とであった。

  このように、君たる者が寛大であれば衆望を得、

  信実であれば民は信頼し、勤敏であれば功績があがり、

  公正であれば民は悦ぶ。

  これが政治の要道であり、

  堯帝・舜帝・禹王・湯王・武王の残された道である」

 と訳している(現代訳論語)。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱


 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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