2014年10月12日日曜日

≪古事記≫天孫降臨


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》日本文明は中国文化の分派にあらず
     ―神のいる国の情義と神無き国の野蛮―

 ≪古事記≫天孫降臨

 (原文)

 爾天兒屋命 布刀玉命 天宇受賣命 伊斯許理度賣命 玉祖命并五伴緒矣 支加而 天降也 於是副賜其遠岐斯【此三字以音】八尺勾鏡 及草那藝劍 亦常世思金神 手力男神 天石門別神而 詔者 此之鏡者專爲我御魂而 如拜吾前伊都岐奉 次思金神者取持前事爲政 此二柱神者 拜祭佐久久斯侶 伊須受能宮【自佐至能以音】次登由宇氣神 此者坐外宮之度相神者也 次天石戸別神 亦名謂櫛石窓神 亦名謂豐石窓神 此神者御門之神也 次手力男神者坐佐那縣也 故其天兒屋命者【中臣連等之祖】 布刀玉命者【忌部首等之祖】 天宇受賣命者【猿女君等之祖】 伊斯許理度賣命者【鏡作連等之祖】 玉祖命者【玉祖連等之祖】

 (訳文)

 爾くして、天兒屋(あめのこやね)の命・布刀玉(ふとだま)の命・天宇受賣(あめのうずめ)の命・伊斯許理度賣(いしこりどめ)の命・玉祖(たまのおや)の命、并せて五伴緒(いつとものお)を支(わか)ち加えて天降しき。 是に其の遠(お)岐(き)斯(し)【此の三字は音を以ちてす】八尺勾(やさかのまがたま)、鏡、及び草那藝の劍、また常世思金(とこよのおもいかね)の神、手力男(たぢからお)の神、天石門別(あめのいわとわけ)の神を副(そ)え賜いて詔らさくは、「此の鏡は專(もは)ら我が御魂と爲(し)て、吾が前を拜(おろが)むが如く伊(い)都(つ)岐(き)奉(まつ)れ。 次に思金の神は前(さき)の事を取り持ちて政(まつりごと)を爲せ」と、のりき。 此の二た柱の神は、佐久久斯侶伊須受能宮(さくくしろいすずのみや)【佐より能までは音を以ちてす】を拜(おろが)み祭る。 次に登由宇氣(とゆうけ)の神、此は外宮(とつみや)の度相(わたらい)に坐(いま)す神なり。 次に天石戸別(あめのいわとわけ)の神、またの名を櫛石窓(くしいわまど)の神と謂い、またの名を豐石窓(とよいわまど)の神と謂う、此の神は御門(みかど)の神なり。 次に手力男(たぢからお)の神は佐那縣(さなあがた)に坐すなり。 故、其の天兒屋(あめのこやね)の命は【中臣連(なかとみのむらじ)等の祖(おや)】。 布刀玉(ふとだま)の命は【忌部首(いんべのおびと)等の祖(おや)】。 天宇受賣(あめのうずめ)の命は【猿女君(さるめのきみ)等の祖(おや)】。 伊斯許理度賣(いしこりどめ)の命は【鏡作連(かがみつくりのむらじ)等の祖(おや)】。 玉祖(たまのおや)の命は【玉祖連(たまのおやのむらじ)等の祖(おや)】。

 (原文)

 故爾詔天津日子番能邇邇藝命而 離天之石位 押分天之八重多那【此二字以音】雲而 伊都能知和岐知和岐弖【自伊以下十字以音】於天浮橋宇岐士摩理蘇理多多斯弖【自宇以下十一字亦以音】天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣【自久以下六字以音】 故爾天忍日命 天津久米命二人取負天之石靭 取佩頭椎之大刀 取持天之波士弓 手挾天之眞鹿兒矢立御前而仕奉 故其天忍日命【此者大伴連等之祖】天津久米命【此者久米直等之祖也】

 (訳文)

 故、爾くして天津日子番能邇邇藝(あまつひこほのににぎ)の命に詔りて、天の石位(いわくら)を離れ、天の八重の多(た)那(な)【此の二字は音を以ちてす】雲を押し分けて、伊(い)都(つ)能(の)知(ち)和(わ)岐(き)知(ち)和(わ)岐(き)弖(て)【伊より下の十字は音を以ちてす】、天の浮橋(うきはし)に宇(う)岐(き)士(じ)摩(ま)理(り)蘇(そ)理(り)多(た)多(た)斯(し)弖(て)【宇より下の十一字は音を以ちてす】、竺紫(ちくし)の日向(ひむか)の高千穗(たかちほ)の久(く)士(じ)布(ふ)流(る)多(た)氣(け)【久より下の六字は音を以ちてす】に天降り坐しき。 故、爾くして天忍日(あめのおしひ)の命、天津久米(あまつくめ)の命の二人、天の石靭(いわゆき)を取り負い、頭椎(くぶつち)の大刀(たち)を取り佩き、天の波士弓(はじゆみ)を取り持ち、天の眞鹿兒矢(まかごや)を手挾(たばさ)み、御前(みさき)に立ちて仕え奉りき。 故、其の天忍日(あめのおしひ)の命【此は大伴連(おおとものむらじ)等の祖(おや)】、天津久米(あまつくめ)の命【此は久米直(くめのあたい)等の祖(おや)なり】。

 (原文)

 於是詔之 此地者向韓國 眞來通笠紗之御前而 朝日之直刺國 夕日之日照國也 故此地甚吉地詔而 於底津石根宮柱布斗斯理 於高天原氷椽多迦斯理而坐也

 (訳文)

 是に詔らさく、「此地(ここ)は韓國(からくに)向かい、笠紗(かささ)の御前(みさき)に眞來通(まきどお)りて、朝日の直(ただ)刺す國、夕日の日照る國なり。 故、此地(ここ)は甚(いと)吉(よ)き地」と、詔りて、底津石根(そこついわね)に宮柱布(ふ)斗(と)斯(し)理(り)、高天原に氷椽(ひぎ)多(た)迦(か)斯(し)理(り)て坐(いま)しき。

 ※出典:古代史獺祭

 ≪参考リンク≫

 『古代史獺祭
 『堀貞雄の古代史・探訪館
 『三国史記
 『三国遺事
 『三国遺事
 『電子大藏經
 『倭・倭人関連の朝鮮文献
 『朝鮮の歴史

《参考》



 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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