2014年4月2日水曜日

虫追い〔松明まつり〕と稲作の神(14)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 川崎神社(かわさきじんじゃ)
 越谷市北川崎一○七(北川崎字宮脇)

 出典:川崎神社(越谷市北川崎):歴史・信仰・氏子

 『歴史』

 当社の鎮座する北川崎は、越谷市の北東部に位置する。

 東西に細長く、東端は北葛飾郡松伏町との境界をなす古利根川に接している。

 元来は川崎村といい、正保年間(一六四四~四八)から、

 検地が行われた元禄八年(一六九五)の間に、

 南に隣接する向畑村を分村したと考えられている。

 明治十二年には、

 現在の八潮市南川崎と区別するため、北川崎と改称した。

 創建についての伝承はない。

 しかし、向畑に記られる香取神社が、

 分村の折、当時香取神社と称していた当社から

 勧請したものと推測されることから、

 元禄期以前には奉斎されていたものと思われる。

 『風土記稿』には

 「香取社 村持鎮守なり、本地十一面観音を安ず」と記されている。

 本地仏の存在から、江戸期には別当寺が関与していたことが考えられる。

 あるいは地内の浄土宗正福寺がかかわっていたものであろうか。

 ちなみに、

 現在本殿内には、全高四二センチメートルの十一面観音像が納められており、

 その厨子には、塗り替えたとされる大正七年七月一日の年紀が記されている。

 本殿内にはこのほか、

 「安政四巳年(一八五七)四月吉日」銘の金幣が奉安されている。

 これは、元来川端に鎮座していた吾妻神社のものである。

 明治四十年、境内社稲荷神社二社・水神社一社と共に当社に合祀され、

 これを機に当社は社名を川崎神社と改めた。


 『信仰』

 当社は川崎の鎮守として、更には五穀豊穣の神として崇められている。

 また、子供を守護する神であるともいう。

 祭りは一月十一日の豊作を祈るおびしゃの年一回である。

 神職による祭典奉仕後、

 境内では縁起物として鶏卵ほどの大きさの餅が撤かれる。

 これは「投げ餅」と呼ばれ、参集した人々が先を争って拾い集める。

 また、境内の甘酒小屋では、子供たちに甘酒が振る舞われる。

 直会は、北川崎集会所で催される。

 各自には、

 鯣(するめ)で作った松葉、昆布で形取った竹の葉、

 それに小梅を添えて「松竹梅」とし、

 煮千しを二尾付けて配られる。

 その後、席を拝殿に移し、総代・自治会長の立ち会いのもと、

 「申し渡し」と称する新旧年番の交替が行われる。

 旧年番を

 下番(かばん)(渡し番ともいう)・

 新年番を上番(じょうばん)(受け番ともいう)と呼び、

 下番から上番に宮形の厨子が引き渡される。

 厨子内には神鏡と白幣が納められ、

 下部は引き出しとなっており、帳簿が入っている。

 この厨子は、年番長であるが、一年間床の間に奉斎する。

 「申し渡し」に続き、弓取りの行事がある。

 用意された二つの的には、鶴・亀・松・竹・梅の絵が書かれ、

 これを目がけ、弓に矢をつがえて射るものである。

 弓は接骨木(にわとこ)・矢は空木(うつぎ)で作られる。

 当たれば豊作、外れれば凶作として、その年の作柄を占う。

 
 『氏子』

 氏子区域は北川崎である。

 氏子数は六〇戸余りで、

 川端(かわばた)組・中(なか)組・農良(のら)組の三つの村組に分かれ、

 更に各組が二分され、一番組から六番組の編成となっている。

 その約七割が農家である。

 氏子を代表し、神社運営に当たる総代は、

 各組から一名ずつ、合計一二名が互選される。

 また、祭礼や行事の際、世話役となる年番は、番組単位で順に務める。

 かつては、一反ほどの水田を社有しており、

 年番が耕作しておびしゃの賄いとしていたが、

 昭和四十年ころ、社殿の瓦葺き替えの費用を捻出するために売却してしまった。

 氏子の行事には、四月・七月の各八日に拝殿で、

 「ナイダの綱」と呼ばれる大きな縄を

 念仏を唱えながら回して悪魔祓いをする百万遍、

 六月三十日の赤子を連れて無事成長を祈願する、

 末社浅間神社の初山(はつうま)、

 七月二十四日の虫追い、十月十五日の収穀を感謝するお日待(ひまち)がある。

 中でも虫追いは、県の無形民俗文化財に指定されている。

 この行事は耕地の害虫を駆除するものである。

 当日の夕刻、銘々が松明を持参して当社に集まる。

 この松明は、竹の棒を芯にして麦藁を巻きつけるもので、

 かつては、五メートルに及ぶものもあったという。

 また、昭和十五年ごろには麦藁が不足したため、

 土瓶に石油を染み込ませて代用したこともある。

 日が暮れると、太鼓と鉦(かね)の拍子に合わせて、

 「稲の虫ホーイ、ホーイ」と言いながら耕地を巡る。

 途中、各字の境七か所に、

 榛名講と板倉講で受けて来た神札二体を笹竹に挟んだものを差し立てる。

 このほか、十月八日の晩に、

 小中学生が拝殿に籠る「くんち」があったが、

 昭和三十年ごろ、学校の指導で中止となった。

 『風土記稿
 風土記稿
  
 「おびしゃ

 「投げ餅
  
 「弓は接骨木(にわとこ)・矢は空木(うつぎ)
  
 弓は接骨木(にわとこ)・矢は空木(うつぎ)
  
 「虫追い
 " title="虫追い">虫追い
  
 「川崎神社(越谷市北川崎)

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