2014年3月11日火曜日

高皇産霊尊・神皇産霊尊(2)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 高皇産霊尊・神皇産霊尊(2)

 『日本書紀』

 顕宗天皇夏四月の丙辰の朔庚申に、日神、人に著りて、

 阿閉臣事代に謂りて曰はく、

 「磐余の田を以って、我が祖高皇産霊に獻れ」とのたまふ。

 事代、便ち奉す。神の乞の以に田十四町獻る。

 對馬下縣直、祠に侍ふ。

 『神祇志料』(栗田寛)

 目原坐高皇産魂神社二座、高皇産霊尊及御女栲幡千々媛命を祀る。

 延喜式、大和国神名帳略解に本社川邊郡目原村高森村にありと云り。

 宗天皇三年四月庚申、日神人に着りて、阿閉臣事代に詔はく、

 磐余田を以て我祖高皇産霊に獻れと詔ひき。

 事代其由を奏しとかば、神の乞のままに田十四町を獻り、

 對馬縣直を以て祠に侍らしむ『日本書紀』、即是也。

 『日本書紀』神日本磐余彦天皇 神武天皇

 年四十五歳に及びて、諸々の兄及び子等に謂りて曰はく、

 「昔我が天神、高皇産霊尊、大日霊女尊、此の豊葦原瑞穂国を挙げて、

  我が天祖彦火瓊瓊杵尊に授けたまへり。」

 ~九月 時に道臣命に勅すらく、

 「今高皇産霊尊を以て、朕親ら顯斎

  (顯斎、此を于図詩怡破毘と云ふ。)を作さむ。

  汝を用て斎主として、授くるに嚴媛の諕を以てせむ、

  其の置ける埴瓮を名けて、嚴瓮とす。又火の名をば嚴香来雷とす。

  水の名をば嚴罔象女(罔象女、此をば瀰莵破廼迷と云ふ。とす。

  粮の名をば嚴稲魂女(稲魂女、此をば于伽能迷と云ふ。とす。

  薪の名をば嚴山雷とす。草の名をば嚴野椎とす」とのたまふ。

 『祝詞』

 祈念祭「大御巫の辤竟へまつる。皇神等の前の曰さく、

 神魂・高御魂・生く魂・足る魂・玉留魂・大宮のめ・大御膳つ神・辤代と

 御名は曰して、辤竟へまつらば、皇御孫の命の御世を手長の御世と

 堅磐に斎ひまつり、茂し御世に幸はへまつるが故に、

 皇吾が睦神ろきの命・神ろみの命のうづの幣帛を稱辤竟へまつらく」と宣る。

 『古事記』

 芦原中国の平定、天照大御神の命以ちて、

 「豊葦原之千秋長百百秋之水穂国は、

  我が御子・正勝吾勝速日天之忍穂耳命の知らす国ぞ。」

 と言因さし賜ひて、天降したまひき、

 是に天忍穂耳命、天の浮橋に多多志て詔りたまひしく、

 「豊葦原之千秋長百百秋之水穂国は、伊多久佐夜芸互有那理」

 と告りたまひて、更に還り上りて、天照大神の請したみひき。

 爾に高御産巣日神、天照大御神の命以ちて、

 天安河の河原に八百萬の神を神集へに集へて

 思金神に思はしめて詔りたまひしく、~、爾に其の矢、雉の胸より通りて、

 逆に射上がらえて、天安河の河原に坐す天照大御神、高木神の御所に逮りき。

 是の高木神は、高御産巣日神の別の名ぞ。

 『延喜式』神名帳

 宮中神 神祇官西院坐御巫等祭神 御坐祭神八座

 神産日神 高御産日神 玉積産日神 生産日神 足産日神 

 大宮賣神 御食津神 事代主神

 《Key Word》

 高皇産霊尊・神皇産霊尊
 高皇産霊尊・神皇産霊尊

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