2014年1月30日木曜日

「あらはばき」と神社(4)


 「古代史ブログ講座」開講にあたって
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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》 

 諏訪大社
 諏訪大社

 諏訪大社
 諏訪大社
 Wikipedia:氷川神社
 Yahooh検索『武蔵一宮:氷川神社』
 武蔵一宮:氷川神社・境内案内

 出典:記紀解体・133~144頁:近江雅和著
   :アラハバキ神と古代史の原像

 【秋田県】

 ◎雄勝郡大沢村上法寺山に阿良波々岐権現社がある。

  (『出羽国風土記略記』所載、大曲市・新谷氏のご教示)

 【山形県】

 ◎出羽三山は古来修験の道場であったから、

  古修験の信仰からアラハバギだった可能性が強い。

  今後の古修験の実体追求で明らかにしたい。

 【福島県】

 ◎会津若松市湊町赤堀(旧、北会津郡湊村赤井)に荒脛巾神社がある。

  (『会津風土記稿』所載)

  祭神は金山比古となっており、製鉄に係わりがあったことを示し、

  近くには金堀の地名もある。

 【千葉県】

 ◎市原郡姉ヶ崎町の式内社・姉崎神社末社に新波々木社がある。

  船橋市には大神宮、古くは音富比(オオヒ=大火か?)神宮と呼ばれていた。

  その社家は最近まで木更津の富(とみ)の家筋で、九十九代の系譜があるという。

  千葉県には印旛郡印西町と同郡本埜村にそれぞれ鳥見神社があり、

  いずれも崇神朝の創建と伝え、富氏との関係を裏付けよう。

 【神奈川】

 ◎横浜市戸塚区公田町に通称「アラハバキ」と呼ばれる地名があり、

  高さ80センチほどの石の祠は「アラハバキさま」という。

  この付近には鍛冶ヶ谷という地名もあり、おびただしい鉄滓が出土している。

  (横浜市・鈴木義重氏のご教示による)

 ◎厚木市小野(旧、愛甲郡小野村)の式内社・小野神社末社に阿羅破婆枳神社がある。
  『新編相模風土記稿』によれば「阿羅破婆枳、

  春日に二社を相殿とす」とあるから、

  かつては本殿にあったものが末社に落とされたことが分かる。

 【埼玉県】

 ◎上尾市菅谷(旧、足立郡菅谷村)の氷川神社末社が荒脛社だった。

  (『新編武蔵風土記稿』所載)

  近くの伊奈町・大山遺跡で7、8世紀のタタラ炉が発見されている。

  菅谷の地名が製鉄に係わりがあることは前著で紹介した。

 ◎上尾市戸崎(旧、足立郡戸崎村)の氷川神社末社が荒脛社だった。

  (同書所載)

 ◎上尾市今泉(旧、足立郡今泉村)の氷川神社末社が荒脛社だった。

  (同書所載)

 ◎大宮市高鼻町(旧、足立郡高鼻村)の式内社の名神大社・氷川神社摂社に

  門客人社がある。(同書所載)

   『江戸名所図会』には荒波々幾社として載せているから、

  天保の頃までアラハバキを称していた。

  さらに同書は、『新編武蔵風土記稿』記載の

  「社伝には孝昭天皇三年創建」とあるのは氷川神社のことではなく、

  アラハバキ社のことをいうのであろうと、指摘している。

 ◎大宮市中釘(旧、足立郡中釘村)の氷川神社末社が荒脛社だった。(同書所載)

 ◎大宮市島根(旧、足立郡島根村)の氷川神社末社が荒脛社だった。(同書所載)

 ◎大宮市日進町(旧、足立郡上加村)の氷川神社(旧、日進神社か?)

  末社が荒脛社だった。(同書所載)

 ◎大宮市中川(旧、足立郡中川村)の氷川神社末社が荒脛社だった。(同書所載)

  この社は、古くは中山神社といわれ、簸王子社を称していたが、

  現在は末社四社があるものの社号、祭神はいずれも不明。

  この中の一つアラハバキ社とみられる。

 ◎大宮市宮前(旧、足立郡上内野村)の氷川神社末社が荒脛社だった。(同書所載)

 ◎大宮市内野本郷(旧、足立郡下内野村)の氷川神社末社が荒脛社だった。

  (同書所載)

 ◎大宮市櫛引町一丁目(旧、足立郡櫛引村)の氷川神社末社が荒脛社だった。

  (同書所載)

 ◎伊奈町小針内宿(旧、足立郡小針内宿村)の氷川神社末社が荒脛社だった。
 
  (同書所載)

 ◎吹上町(旧、足立郡前砂村)の氷川神社末社が稲荷・門客人・諏訪の合社。

  (同書所載)

 ◎浦和市西堀(旧、足立郡西堀村)の氷川神社末社が荒脛社だった。(同書所載)

  東隣は製鉄に関係がある別所である。

  別所については

  柴田弘武氏の『鉄と俘囚の古代史』(彩流社)をご覧いただきたい。

 ◎浦和市白鍬(旧、足立郡白鍬村)の氷川神社末社が荒脛社だった。(同書所載)

 ◎浦和市内谷二丁目(旧、足立郡内谷村)の氷川神社末社が荒脛社だった。

  (同書所載)

 ◎桶川市小針領家(旧、足立郡小針領家村)の氷川神社末社が荒脛社だった。

  (同書所載)

 ◎川口市芝(旧、足立郡芝村)の羽盡(はぞろひ・羽曽呂とも)の末社に

  荒波々喜社がある。(同書所載)

  近くには須賀の地名(製鉄に関わる地名)もあり、

  川口市が鋳物の町といわれるのもうなづけよう。

 ◎川口市戸塚(旧、足立郡戸塚村)の氷川・熊野峯岳明神合の末社が荒脛社だった。

  (同書所載)

  すぐ南にある同市安行慈林の薬師堂池には
 
  製鉄伝承に関わる片目の魚伝説がある。

 ◎川越市古谷本郷(旧、足立郡古谷本郷村)の八幡神社末社は

  荒脛明神他二十一社の合殿。(同書所載)

 ◎坂戸町塚越(旧、入間郡塚越村)の住吉神社末社に荒掃徐神が祀られていた。

  (同書所載)

  現在は末社が数社あるが、アラハバキの名は消されてしまい不明。

 ◎所沢市三ヶ島(旧、入間郡三ヶ島村)の中氷川神社(旧、長宮明神)末社に

  荒脛社がある。(同書所載)

  武蔵の式内社四十四座のうち一座が中氷川神社となっているが、

  今、この一座をめぐって所沢市山口にあると互いに式内社を主張して譲らない。

  だが、アラハバキ社のある当社の方が古いことは疑いない。

 ◎所沢市三ヶ島(旧、入間郡三ヶ島村)の中氷川神社(旧、長宮明神)末社に

  荒脛社がある。(同書所載)

  武蔵の式内社四十四座のうち一座が中氷川神社となっているが、

  今、この一座をめぐって所沢市山口にあると互いに式内社を主張して譲らない。

  だが、アラハバキ社のある当社の方が古いことは疑いない。

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