2013年11月18日月曜日

ミシャグチとソソウ神-9


 『武蔵一宮:氷川神社』

 Wikipedia:氷川神社

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 武蔵一宮:氷川神社・境内案内

  出典:「諏訪信仰の発生と展開」139頁
     古部族研究会・永井出版企画
     「穴巣始と外来霊」

 『竪穴斎屋の原始性霊』

 ミシャグチとソソウ神-9

  この御立座神事から内県の神使が各たたえ

 巡行を終えて帰って来るまでの六日間、

 御笹の御左口神は御室内の萩組の座の暗闇の中でひっそりと立っているのである。

 そして内県の神使が帰って来る直前に、前宮に運び込まれるのである。

 祭祀構成上より納得いかないものである。

 私はより古層な神事においては、御室から出された御笹の御左口神が、

 酉の祭において御杖として神体を意味し、

 それが終了して前宮に運び込まれたものだったのではないか、と憶測する。

 宮地直一氏はいみじくも言っている。

 「御杖の性質が精進屋に於ける御左口神の木等と択ぶところなく

  器物を超越した霊体として観念せられた」と。

 暗室内の御室においてはともかく、

 「堂上堂下郭外の儀式計会す」(『画詞』)る酉の祭において、

 古諏訪祭政体の中心をなす神体が御左口神であることを公けにしては

 都合が悪かったのである。

 そこで、御笹の御左口神はまだ御室に籠っていただいて、

 終了時に前宮に運び込むように仕組んだのであろう。

 その御杖柱はあくまで

 堂々たるタケミナカタの神の神体でなければならなかったのである。

 『画詞』は「外県に大明神をとらす」と御杖柱を大明神と言っている。

  このような操作は御杖柱にとどまらない。

 大祝をタケミナカタの神体として

 「我に別躰無し、祝(はふり)を以て御躰となすべし、

  我を拝せむと欲せば、須らく祝を見るべし」(伝「信重解状」)と

 タケミナカタに言わせているが、

 大祝が樹下の岩上で即位する儀礼そのものが

 御左口神降霊を意味しているではないか 。

 「前宮は廿の御左口神」と言って神使六人、神主十四人を御左口神と認め、

 「神使御社宮神」「十四人之神主等の御社宮神」といい

 「古は御頭に長たる人あり、比御社宮神也」(「守矢神長官古事」)と

 御頭も御左口神であることを認めておりながら、

 ただただ大祝のみはタケミナカタといいはっているのだ。

 神使は構造上どう見ても仮の大祝であり、

 神使が御左口神であるならば、

 大祝は大御左口神であってタケミナカタではないと考える。

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