2013年11月19日火曜日

ミシャグチとソソウ神-10



 『武蔵一宮:氷川神社』

 Wikipedia:氷川神社

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 武蔵一宮:氷川神社・境内案内

  出典:「諏訪信仰の発生と展開」140頁
     古部族研究会・永井出版企画
     「穴巣始と外来霊」

 『竪穴斎屋の原始性霊』

 ミシャグチとソソウ神-10

  更に、前宮の神座には、例の御笹の御左口神が運び込まれている。

 いいかえれば、前宮神原の神体は御左口神である。

 そこで、例の出早社の壮大化して本宮を建て、

 諏訪神社上社の御神体はタケミナカタであることを誇示する。

  恐らく、古諏訪祭体が中央統制化に組み込まれるに際しての

 中央朝廷と固有勢力の力関係が、

 このタケミナカタ神と御左口神との関係に表現されている。

 神使までは御左口神と認容し、大祝に関しては受けつけない。

 前宮は御左口神と認容し、本宮だけは認めない。

 御室内の御笹は御左口神であるが、

 神原十間廓に現れる御杖柱は大明神であると。

 ここには、固有勢力が断固政治上信仰上引くことの出来なかった一線と、

 中央朝廷が、

 最後の一線だけは認容できなかった点との境目が

 手にとるように観ることが出来る。

 諏訪祭祀七十五度を分析した果てに

 宮地直一氏はいみじくも言っているではないか。

 「もともとかように生き生きした神事に刃向こうとしたところに、

  非常な無理を横たへ、そこに失敗の成因を蔵したといふを適当とする」と。

  もう一つの問題として考えてみたいのは、大祝の祝言の問題である。

 諏訪中世の神事では祝詞を「申立」としているが、

 神である大祝の祝詞だけは明確に区別して、

 「大宣詞(おおのつと)」といっている。

 この申立自体の内容は、いささか中世的にパターン化しているようであるが、

 大祝が即位した時に「俺は神だ」という一人称発想の宣詞として、

 神長をはじめとする他の神官たちの「申立」(奏上)とは

 峻別している点は極めて原理的だと想われる。

  正月一日の簿の実による丁半の御頭定の占いの神事、

 冬十二月二十五日の聖の手の神事と大夜明の神事、

 これらは、春の酉の祭の御頭郷ならびに新しい神使を占定する神事と、

 冬、

 御室の内に大蛇三体を迎えての饗宴の徹夜神事と極めて重要な神事であるが、

 もしも大祝が都合で出御されぬ場合は、

 神長主導のもとに、神使と神長が行っている。

 すなわち、正月一日の御占之事

 「祝殿之指合なとの時は神長殿一斗申て御占をうち申候畢、

  冬のひしりのての時も祝殿指合の時は
 
  神長殿はからひとして(大のつとは申出さね共)、

  役は習々此日記に任て如先例稼動行申候」(『旧記』括弧は田中)と。

 神事は神長と仮の大祝達である神使で執行できるのであるが、

 大のっと(大祝の宣詞(のりと))だけは決して代行してはいけないのである。

 ここに「大宣詞(おおのっと)」が大祝自身の本質であることをかいまみせている。

  又、神使達は「口習(くちまね)の申立」といって、

 大祝の大宣詞のあとにそのまま復唱する申立をやるが、

 これは、第二次大祝である神使の構造を示している。

 以上断片的に残存した大祝の呪文を貴重視した痕跡をあげてみたが、

 八才で樹下で神縣ったという。

 いわゆる大祝の始祖・有員(ありかず)の伝承らを考えるにつけても、

 パターン化される以前の尸童(よりましわらわ)の突然の神言すなわち

 「小さき者の声」貴重視した原始社会を考える一つの手がかりとしたい。

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