2013年10月7日月曜日

倭姫命世記:日本紀曰


 『伊勢神宮』
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 『倭姫命世記:日本紀曰』

 日本紀に曰はく、 神産日神の御子少名毘古那神。

 大国主神と相並て此国を作堅めて後は、

 其の少名毘古那神は、常世国に度る也。

 神代下に云ふ、高皇産霊尊、大物主神に勅して「

 汝若し国神を以ちて妻と為せば、猶、汝を疏心有りと謂はむ。

 故今、吾女三穂津姫を以ちて汝に配せ妻と為む。

 宜しく八十万神を領て、永く皇孫の為に護奉れ。」

 裏書勘注に曰はく、 風土記に曰はく、

 夫れ度会郡と号くるは、

 畝傍檻原宮御宇に神倭磐余彦天皇、

 天日別命に詔して、国を覓ぐ時、

 度会の賀利佐嶺に火気発起りて日別命、親云曰、

 「此小佐居歟」、礼使に迷ふ命を見て、

 使者還来て申曰はく、

 「大国玉神有り、賀利佐に到る」、

 時に大国玉神、使を遣り、天日別命を迎奉り、因て其橋を造らしむ。

 造畢るに堪はざるに時到る。

 今、梓弓を以ちて橋と為て度る。

 爰に大国玉神、弥豆佐々良比売命を資け参来りて、

 土橋郷岡本村に迎相ひて、天日別命に申す

 「歎地出之、参会ふ日刀、それより度り会ふ」。

 因て名と為す。

 一書曰はく、

 神倭磐余彦天皇の御宇に、悪神いふかりて、人民亡ふ、火気発起て、

 天下安らざるに、日別命を以ちて、使に遺り、大己貴神復命て、

 兵を発て 西宮より此の東洲に従る時、大国玉神〔大己貴命〕を崇祭る。

 復命を天皇大く歓びて詔曰はく、

 「宜しく伊勢国を取りて、即ち天日別命の村地と為せ」。

 此世火気に堪ず、伊勢の多賀佐山嶺に、石宅を造り住居て、

 天日別命、荒振神を殺戮し不遵を罰ち、堺の山川に地邑を定むる者也。

 天日別命子を以ちて崇祭る。

 是れ度会国の御社也、彦国見賀岐建与束命、是也。


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