2011年12月12日月曜日

絹の道(倭錦):エリュトゥラー海案内記・『第2節・第3節・第4節』


ブログ:古代史ブログ講座「古代メソポタミアから大化の改新まで」

出典:PERIPLUS MARIS ERYTHBAEI
エリュトゥラー海案内記
エジプト生まれの商人がギリシヤ語で書いたA.D.1世紀
村川堅太郎:訳注 中央公論新社101~103&153~155頁

『第2節』

これらの右手に当たりベルニーケーに引続いてバルバリケー地方がある。

その海に面する部分はイクテュオバゴイの土地で、

彼らは峡谷に散在して造られた組木小屋の中に住んでいる。

内地はバルバロイと更に奥地のアグリオパゴイとモスコパゴイとに属し、

彼らは酋長に支配されている。

彼らの背後の内地に西の方に当たって(メロエーと呼ばれる首邑がある)。

※注釈

「バルバリケー地方」Barbarike

ギリシア人は夷狄の民を指して Barbaroi と呼んだが、

バルバリケーは「夷狄の地方の義」

「イクテュオパゴイ」ichthyophagoi

「魚を食う人々」の義。

魚を主要食とする原住民。

彼らの習俗については Agathacies 31 sq. に詳し。

「アグリオパゴイ」Agriophagoi

「野獣肉を常食とする人々」の義。

「モスコパゴイ」Moschophagoi

「草木の若芽を常食とする人々」の義。

Μοσχοζ には「子牛」と「若芽」との両義があるが此処は後者の意に解すべし。

「メロエー」Meroe

エジプト新王国末期(世紀前8世紀末)に起こったヌビア王国の最後の首都。

本書の時代には既に荒廃しかけていた。

Atbara 河のナイル河への合流点の南で北緯16°55′の

Begerawieh がその跡に比定されており、相当の遺跡がある。

『第3節』

モスコパゴイの次には……約4,000スタディオン離れて

「狩猟のプトレマイオス」と呼ばれる海沿いの小さな商業地があり、

プトレマイオス家の時代には王の狩人たちは此処から内陸に這入って行った。

この商業地は本物の陸亀を少量とこれより甲羅の小さい白亀を産する。

また此処では時には少量ながらアドゥーリ産のものに似た象牙が見出される。

此処は港がなくてただ軽舟のみ近づくことが出来る。

※注釈

「……の部分」写本には το περαζ τηζ αναχδμιζ とあるが復原困難。

狩猟のプトレマイオス」Πτολεμαιζ η των

Strabo XVI C. 770 によれば

プトレマイオス二世により送られた Eumedes なる者が建設した。

本文に見える通り、ヘレニズム時代に象が軍事的に重用された頃、

象狩のために設けられたが、象が戦術的価値を失った後には商港となった。

詳しくは序説に引用せる Rostovtzeff の論文 S.301 ff. 参照。

その正確な位置は諸説あって定まらない。

「アドゥーリ産」

次節註「アドゥーリ」をみよ。

『第4節』

狩猟のプトレマイオス」の後には

約3,000スタディオン離れてアドゥーリという法定の商業地がある。

南に入り込んだ深い湾の最奥部から大海の方に向かって約200スタディオン離れており、

その両側に陸地が迫っている。

今では入港する船は陸地からの〔原住民の〕襲撃のためにこの島に停泊する。

というのは以前には船は湾の最奥部の陸地に近い所に在る

いわゆるディオドロースの島に停泊していたが、

この島には陸地から徒歩で渡って来る通路があり、

この通路によって此処に住む原住民らが島を攻撃したからである。

そしてオレイネー島に面する陸地で海から20スタディオンのところにアドゥーリがあり、

中くらいの村で、此処から内地の町で

第一の象牙取引地たるコロエーまでは3日の道のりである。

此処からアクソミテースと呼ばれる主邑までは更に5日の道のりで、

ナイル河の彼岸からの象牙は総ていわゆるキュエーネイオンを通じて此処に運ばれ、

此処から更にアドゥーリに運ばれる。

殺される象や犀は全部内陸の地に棲息し、

時たまには海岸地方でアドゥーリ付近でさえ見受けられる。

この商業地の全面に当たり、

大海中の右手に別の小さな、砂の多い島が多数横たわっており、

アラライオスの島と呼ばれて亀を産し、

この亀はイクテュオパゴイにより取引処に運ばれる。

※注釈

「アドゥーリ」

写本η 'Αδονλει Frisk に従う。

Trogodytai 地方の最重要港。

Plinius N.H.VI 34 §172 sq. 参照。

その位置は今日の Annesley 湾の西岸で、

昔の名を伝えたと思われる Azule 15°20′N. の地に遺跡がある。

「法定の」νομιοζ

『第1節』の註「指定された停泊地」参照

「オレイネー」Oreine[山島(オロス)]の義。

今日の Desset の小島に比定される。

「ディオドロースの島」Diodoros

今日全く存せず、陸続きとなったらしい。

「コロエー」Koloe Ptolem. IV 7.8 にも同名の市が見える。

Bent により今日の Kohaito に比定されている。(Schoff註)

「アクソミテース」Axomites

Frisk により写本に従う。

Ptolem. IV 7.8 には Axume と見え、「王宮所在地」とある。

アビシニア地方にあり今日も Axum と言い、古代からの遺跡が僅かながら存する。

「キュエーネイオン」Kyeneion

   他の古代地理書には見えず。

Kolla-Mazaga(Muller)、或いは青ナイル河に沿う Sennar 地方(Schoff)に比定されている。

「アラライオスの島」Alalaiu Plinius N.H. VI 34§173 には Aliaeu と見える。

Annesley 湾の入り口の Archipel Dahalak.

サウジアラビア紹介シリーズ
3.1.6「エリュトゥラー海航海記(Periplus Maris Erythraei)」
『エリュトゥラー海案内記:関連地図』

古代東西交通路(Warmingtonによる)
「案内記」に見える地名の比定地図
インド洋のシルクロードの始まり
紅海沿岸
地中海東岸
アフリカ北東岸
アラビア半島南岸


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